実行委員長挨拶
浅川達人
松本深志高校卒業生の浅川です。在校時には,生徒会長をつとめさせていただいておりました。卒業生のみなさま,卒業30周年おめでとうございます。恩師の先生方,同窓会のみなさま,本日はお忙しい中ご足労いただきまして,誠にありがとうございました。
さて,私たちが深志高校を卒業して30年も経ちました。本日のこの記念行事にあたって私は,この高校でいったい何を学んだのだろうか,考えてみました。私は浪人しているので,受験という観点からみますと,必要な知識を,残念ながら十分には学べなかったことになります。むろんこれは学ばなかった自分に問題があり,高校の責任ではありません。私は大学に入るまでに二浪もいたしましたから,その点からも深志高校の教育の問題ではなく,私の学ぶ姿勢に問題があったことは明らかです。
では,私が深志高校で学んだことは何か。それは「自治とは心の習慣である」ということです。「心の習慣:The Habit of the Heart」とは,社会学者のロバート・ベラーが,アメリカ個人主義のゆくえについて論じた際に用いた概念です。ベラーはアメリカ社会において,個人主義という「心の習慣」がどのように変容しているかを論じました。私はここでは,自治という「心の習慣」について考えてみたいと思います。
自治とは,雪かき仕事のようなもの。私はそのように考えています。家の前に積もった雪は、誰かがどかさなければ生活に支障がでます。だから,自分のために雪をかきます。しかしながら,あながち自分のためだけに,雪をかいているわけでもありません。自分の家の前の道路の雪をどけてあげれば,自分だけではなく,通りを利用する見知らぬ他者のためにもなるのです。
雪は,片付けても,片付けても降り積もります。どこかに悪の張本人がいて,雪を降らせているわけではもちろんなく,また,私たちに過失があるから雪が降るわけでもありません。つまり,降雪に関しては誰を責めることもできないのです。誰かがやらなければならない「厄介な仕事」を,自らのこととして引き受けて行う。その心の習慣こそが自治なのだろう。私はそう考えております。
昨今,ヘイトスピーチが問題になっております。テレビでも,新聞でも,インターネットの世界でも,「悪の張本人」を想定して,それを叩いて憂さを晴らしている。これは,犯人や原因を特定して,それを取り除けば自分が幸せになれると単純に夢想している人が増えていることを示しているように思います。そのうえマスコミも,問題を解決してくれるリーダー(これをニーチェは「超人」と呼びましたが)の登場への期待を煽っています。「決められる政治」などというフレーズが待望されているかのように喧伝されてきたのは,その表れなのだろうと考えます。
しかしながら,たとえ超人が現れたとしても,愚衆を治め,愚衆を愚衆から解放することは,超人には決してできません。超人は,愚衆によってそのポジションを定位されるからであり,愚衆を失えば超人は超人というポジションを失うからです。したがって,超人の登場への期待は,決して叶えられないのです。
正義の味方が現れて,悪の張本人を討伐して,平和な世の中になる。そのような単純な社会は,現実にはあり得ません。だとするならば,降雪のように,犯人や原因を特定できない生活問題を,どのように処理していくかが課題となります。そのためには,誰かがやらなければならない厄介な仕事を,自らのこととして引き受けて行うという心の習慣,すなわち自治が必要不可欠なのです。
自治という心の習慣を身につけた「実行委員のメンバー」が,このような素晴らしい記念行事を計画し,運営してくれています。そのことに感謝申し上げ,私の挨拶にかえさせていただきます。
本日は本当におめでとうございます。